「計画された偶発性を引き起こすには信頼を貯めるしかない」 そう語るのは日本初のITコンサルティングファームとして1999年に東証一部上場を果たしたフューチャーのグループ会社・TrexEdgeでCTOを務める小川達(いたる)氏。 小川氏は新卒でフューチャーにITコンサルタントとして入社。わずか5年で出向という形で農業領域に特化したVertical SaaSを提供するTrexEdgeのCTOに就任した。 そんな小川氏だが、実は文系出身。大学時代はホッケー部で学生時代はITとは縁のない生活を過ごしていたそうだ。そんなIT未経験の彼はなぜ入社5年でCTOに上り詰めることができたのだろうか。そこには計画された偶発性を引き寄せる圧倒的な努力があった。
「毎朝 4 時まで勉強した」ハンデをアドバンテージに変え、技術テストで突き抜ける
—— 文系からエンジニアというキャリアに至った経緯を教えてください。
まず、無数に募集がある中でここを選んだ理由は、尊敬できる先輩がフューチャーで働いていたから。その先輩はどんなに忙しくても学生の僕らのために時間を割き、真摯に相談に乗ってくれるような人でした。その先輩と頻繁に連絡を取るようになってから、自然とフューチャーに興味を持つようになりました。
—— 「誰と働くか」を重視されていたんですね。
そうですね。僕は昔から**「何をするか」より「誰とするか」を重視してきました。就職活動でもそれは同じです。僕が通っていた大学は商学部・経済学部・社会学部・法学部しかなくて、OB の就職先を見ても大手商社とか大手不動産とか、大手銀行とか、文系出身の人が就職するような “大手企業” しかなかった。だから、最初はエンジニアという選択肢はありませんでした。**
—— 文系からエンジニアになることに不安はなかったのでしょうか?
なかったですね。昔から「何かをつくって人に喜ばれる仕事がしたい」という気持ちがあって。僕は釣りが好きで、中学の頃は浮力の高いバルサ材というのを買って自分でルアーをつくっていました。それを友だちにあげたら喜んでもらえた原体験があったので、エンジニアもその延長線上にあるような気がしたんです。
—— 理系出身の同期が多い中、研修最後の技術テストで 3 位という結果を達成したと聞いています。ハンデを背負っているのに結果が出せた理由を教えてください。
単純に IT を学ぶことが面白かったんです。それに**ピンチはチャンスだと思っていました。**学生の頃からプログラミングをやってきた理系の人はできて当たり前と思われているけど、文系出身の僕は何もできない赤ちゃんのようなもの。やればやった分だけ伸びるし、周りに驚いてもらえます。理系でないことは、僕にとってハンデではなくむしろアドバンテージでした。
加えて、研修期間中はタイピングテストがあったので、練習用にランダムに画面に表示された会社の理念を素早くタイピングしていくゲームを自分でつくったりしていました。これがすごく楽しくて「もっといいものをつくりたい」という思いから、勉強にも身が入りました。やらされている感はなかったですね。
—— 実際に研修中はどれくらい勉強したのでしょうか?
研修期間中の 3 ヶ月半は毎日 9 時から 18 時まで講義があって、そこから家に帰ってご飯を食べてから翌朝 4 時まで勉強する生活をしていました。とにかく IT まみれの日々でしたが、IT の知識が増えていくのが楽しかったです。
在籍していた部署が消滅。師匠との別れが、ビジネスに興味を持つキッカケに
—— 研修後はどこの部署に配属されましたか?
研修が終わって僕が最初に配属されたのが、技術応用戦略室という社内でも技術力の高い人たちが集まる 20 人くらいの部署でした。そこで半年間の OJT があったんですけど、そのときに「この人がいなかったらいまの自分はいない」と断言できるくらい尊敬できる師匠に出会ったんです。僕は師匠と 2 年間一緒に働き、たくさんのことを学びました。
しかし、とあることがキッカケでその部署はなくなってしまい、師匠もそのまま会社を辞めてしまったんですね。僕としては師匠との別れが非常に大きな転機となりました。
—— 大きな転機とは?
師匠と別れてから、これまでとは違うプロジェクトに関わるようになりました。そこでビジネスにも興味が湧くようになったんです。 師匠と一緒に仕事をしていた頃は技術のことばかり考えて、会社に引きこもってずっとコードを書いていたいタイプでした。でも、他のプロジェクトに参加するようになってから視野が広がったんです。
そして 2 年間師匠の隣で仕事をして、1 年間プロジェクトに出て外の仕事も経験したことで、サーバーサイドからフロントエンドまで一通り自分でつくれるようになっていて。もっと外の世界も見てみるのもありなのではと思い、「転職」というワードも頭にはよぎりました。
新規事業の失敗をバネに。CTO 就任は計画された偶発性を引き寄せた結果
—— 退職を考えたにも関わらず、踏みとどまったのはなぜですか?
**人と同じにはなりたくなかった、というのが大きな理由です。**フューチャーは toB 向けの IT コンサルをしているので、toC 向けのサービスに関わりたくて辞めていく先輩が多かった。自分もそう思っていましたが、それだと他の人と同じになってしまう。「ここに残って面白いことをやった方が人とは違うキャリア形成ができる」と思ったんです。
また**グループとして非連続の成長も必要だと感じていて、IT コンサルティング事業以外もやる必要があると考えていました。**そこで以前から興味があった新卒採用向けのサービスをやりたい旨を当時のリーダーに伝えたところ、承諾を得ることができました。
—— 新規事業は上手くいきましたか?
それが、全く上手くいきませんでした。会社の端で 3 ヶ月間はひたすらコードを書いて、トライアルを繰り返していたのですが、全然ダメで。師匠と別れるまで技術のことばかり考えていたので、サービスの伸ばし方を知らなかったんです。結局、自分がつくりたいものをつくるだけで、ユーザーのことを考えていなかったと反省しました。
そんなときに出会ったのが『始動 Next Innovator』という外部のイノベーター育成プログラムです。そこで事業づくりを学び、いろんな人の力を借りて事業計画をつくってプレゼンしました。結果、120 名中 20 名の枠しかない選抜に最年少で選ばれシリコンバレーに 2 週間行くことができたんです。
—— その実績が評価されて CTO に抜擢されたのでしょうか?
たまたまです。僕がシリコンバレーに行った翌年、いまの TrexEdge の代表がフューチャーに中途入社で入ってきて、僕と近くの席になったんです。
いまの代表は新規事業を立ち上げるために転職してきた人。席が近くだったからか、「新規事業の立ち上げを手伝ってほしい」と声をかけてくれて。そこから二人でいま TrexEdge で提供している農業領域に特化した Vertical SaaS の原型をつくって、そこからスピンアウトして分社化しました。それが僕が CTO になった背景です。
—— CTO を目指したというより、結果的に CTO になったんですね。
振り返るとそう思います。僕のキャリアって周りと全然違うんです。同期の 9 割は研修後、IT コンサルタントとして金融や物流系のプロジェクトに配属されて要件定義から開発まで担当してお客様に提供する仕事をしてきた。
けど、僕はそうではなかった。もちろん、プロジェクトも任されたけど、技術特化の部署に入ったり、一人で新規事業を立ち上げたり、同期と違うことをしてきました。
当然、プロジェクトで知っている人たちと仲良く仕事した方が楽しいし、慣れている仕事をした方が自己肯定感も高まる。けど、周りと違う道を進んでよかったと思っています。苦しいけど、人と違う道を進んだ方が自分の色がつくので。
チャンスを引き寄せるためには、信頼を貯めること。期待に応えられない自分はダサい
—— TrexEdge 立ち上げの話が舞い込んできたように、チャンスを引き寄せるために普段から意識されていることはありますか?
信頼を貯めることです。例えば、僕が後輩に仕事をお願いするときも「この人ならやってくれそうだな」と思うから任せるわけで。期待されるためには日頃から信頼を貯めていくしかありません。どんなにきつくても絶対に逃げずにやりきるとか。こうした日々の行動を積み重ねていくしかないと思います。
—— なかなかそれができない人も多い中で、小川さんがそこまで努力できる理由を教えてください。
負けず嫌いだし、カッコよく生きたいんです。期待に応えられない自分はすごくダサいし、期待を裏切りたくない。だから、僕は守備範囲外の仕事も任されたら全力で応えようとするタイプです。
それにいまの仕事が好きなんです。だから没頭できるし、勉強も苦にならない。土日に勉強会に参加したり、ビジコンに参加したり、スタートアップのことをひたすら調べたりしても、努力している感覚はありませんでした。
フューチャーに留まり新規事業を立ち上げたのも、ビジコンで選ばれてシリコンバレーに行けたのも、TrexEdge 立ち上げに参加したのも、計画された偶発性を引き寄せた結果です。チャンスは誰にでも平等に訪れるけど、それを掴めるかどうかは自分次第。全ては日頃の準備だと思っています。