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クライアントの事業成長を自分ごと化する。Reproでセールスを担う責務とその醍醐味とは

入社ストーリー
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急拡大を遂げるReproには、看板メーカー・海外の土産物店・外資系企業と異色な経歴を持つトップセールスがいる。提供するソリューションの幅もますます広がり、よりクライアントの課題に立ち向かえる面白さと責任があるなか、「Reproの導入を決定した担当者の給料が上がればいい」と語る林に、セールスとしてのこれまでと、Reproが担うべきClient firstのあり方について伺った。


広島の冴えない大学生が単身ニュージーランドへ、持ち前の行動量で食いつなぐ日々

ーーReproに入る前はどんなことをされていましたか?

地元は広島で、勉強も全くできず、特にやりたいこともありませんでした。広島の大学からなんとなくインターンでお世話になった看板メーカーに新卒入社し、そこから今までずっとセールスをしています。

会社自体に大きな不満があったわけではないですし、優秀な人もいたのですが、ただ年功序列な環境下でこの先20年、30年とずっとルート営業をしていくのはなかなかしんどいな...と思ってしまって。2年ほどで辞めたあとは、ニュージーランドに。

ーーニュージーランド!かなり突拍子もないですね(笑)

もともと趣味でスノーボードをやっていましたが、日本国内だと夏はできないし、シーズンが短くて限界を感じていたんですよね。でも、あれ、これって半年ごとに地球の反対側に行けば、一年中スノボできるかも? と思ったんです。思い立ったが吉日で、すぐさま飛び出しました。

しかし、帰国しようとしてもお金がない。語学学校に通って午前中は英語の勉強、午後はスノボという生活をしていて、通学している間はホームステイとして住む家があったものの、卒業した途端、露頭に迷いました。この時は本当にしんどかった。

結局、友人の家に居候させてもらいながら英語で履歴書を作り、とにかく配ってました。1ヶ月くらいかかってようやく就職できて、しかもあの大橋巨泉さんがやってる土産物屋で働いていました。楽しいとは思わなかったんですが、お金を溜めるために頑張ってましたね。


ニュージーランドの雪山に佇む林ニュージーランドの雪山に佇む林


初対面の平田の言葉に感化され、修行の場を求めてReproに

ーー帰国後に外資系企業に入られたんですよね。

1社目の経験もあって、なんとなくですが、日本の会社には勤めたくないな...という勝手な固定観念があったんです。また、もともと英語が話せない状態でニュージーランドに行きましたが、仕事で使うなら力不足だなとも思い、2,3ヶ月くらいフィリピンで語学留学することに。その後、外資系の営業会社に就職しました。

初めは地元の支店で働いたのち、ある程度結果を出して東京の本社に異動しました。「一度は絶対東京に行ったほうがいい、広島とは全然違うから」と親からは常々言われていたのですが、実際に来ると全然レベルが違いましたね。

ただ、そのなかでどうしたら一番になれるだろうか...ということを常に考えて1日1日を過ごすことで、ある程度成果も出せて、自信にもつながりました。


ーーそこからどうしてReproに入ったんですか?

これはいわゆる”外資系あるある”だと思いますが、会社自体の業績が悪くなった途端、海外から人が派遣され、どんどん動きづらくなっていくんですよね。ある程度慣れてきたし、成果も出せているタイミングでしたが、限界を感じていました。

そんななか、たまたま上司を通じて代表の平田とお話しする機会があったんですよ。実は、将来なんとなくですが、お好み焼き屋をやりたいという夢があって。そのことを平田の前でぽろっと口にしたら、もうめちゃくちゃに詰められたんですよね(笑)

え、じゃあやればいいじゃん、いますぐ一千万円出すからやりなよ。なんでやらないの?」と。

初対面で詰めてくるって、結構な人来たぞ...って思ったんですが、その反面おっしゃる通りすぎて、これはひょっとして、Reproは甘々な自分にとって改めての修行の場になるかもなと思い、その場で「行きます」と伝えました。

当時、Reproが何をしている会社かなんて全く知りませんでしたが(笑)


続きはRepro Cultureで!

https://culture.repro.io/blog/2020/04/03